【新作舞台】中川大佐をご存知ですか?8/15(木)終戦記念日に「さくらさくら」という新作舞台を行います。
ずっと避けてきた戦争のテーマ。
できれば考えたくない。
触れたくない。
けれども、脚本家の岡元はずっと言い続けていました。
うちの劇団が「unique&peace」と平和をテーマにしているならばいつかはこのテーマに触れないとダメだ。と。
一般社団法人ゆにぃ〜く&ぴぃ〜す | ゆにぃ~く&ぴぃ~す(通称:ゆにぴ)は千葉県船橋市の一般社団法人です。船橋をこよなく愛する人々による市民参加型の劇団「劇団☆ゆにぃ~く&ぴぃ~す」を運営。全力で、熱く、ワクワク生きていきたい。そんな想いで立ち上げました。
劇団10周年となる今年、「社会課題をエンターテイメントで昇華する」私たちだからこそお届けできる作品として考えたテーマがパラオ諸島のペリリュー島で起こった日本とアメリカの戦争。
そして、その奥に隠されたパラオ人と日本人の「深い絆」のお話。
音楽劇「さくらさくら」です。
皆さんは、中川州男大佐をご存知ですか?
もしよかったら少し検索してみていただけたらとっても嬉しいです。諸説ありますが、中川大佐は日本とアメリカの戦争がパラオ諸島ペリリュー島で始まる時、パラオ人の犠牲者を1人も出さないために「愛のある嘘」で戦前から日本の委任統治下で友達のように親交の深かったパラオ人の人達をペリリュー島から船で避難させました。
また、戦う上で日本兵の「玉砕」を認めず、あくまでも最後まで「生き抜いて」戦うようにとという方針でした。
それはなぜか。
特攻部隊のように自決するのではなく、「生きて戦い抜くこと」にこだわった中川大佐。
色々と調べていたら、どうやらこのような理由だったようです。
「我々の生きている1日、1日は無駄ではない。未来の日本の子ども達に繋がっている。だから生きて、生き抜くのだ、と。」
生き残った当時の日本兵の方々のインタビューを見ると、相当な持久戦で飢えもひどく生き戦い続けるのが本当に大変だったと。
結局最後は自決する道を選んだ中川大佐ですが、私は未来の日本の私達を想って命懸けで生き抜いた中川大佐を初めとする皆さんから受け継いだ日本のバトンをどんな風に次の子ども達に残していくのか。
明日のこども食堂を前にしんみり考えている夜です。
これから私の頭の中は8/15(おそらく10/1パラオ諸島でも公演)までこの作品のことでいっぱいになると思います。
なるべくわかりやすく皆さんにお届けしたいと思っていますのでどうか観に来てください。
よろしくお願いします。